一般的にはお城と言えば、石垣の上に天守閣風の建物が建っているモノを指してイメージをしていることが多いと思います。
しかしながら、お城を大きく捉えると、次のようにいろいろな種類のものがあります。
・「城(要害、土居、麓)」「陣屋」「代官所」「屋敷」「居館」「柵・砦」「砲台」
・アイヌ民族の「チャシ」
所謂お城とは何かといいますと、元々は敵からの侵略に備える防衛的な機能を持つ構築物であったり、敵に対して攻撃をしかける為の拠点であったものからスタートして、いつの間にか、それを中心にして生活ができる空間を造り、更にはその場所で政治をする人達が詰める施設となったり、一般の人が集まり交流が行われる街として発展するなど、時代によっていろいろと変遷してきました。
まずは、お城に似た広義の施設を、古代から戦国時代までの間にかけて下記の表で紹介します。
概 要 | 例 | |
①古代王権力の城 | 縄文時代の環濠集落、弥生時代の朝鮮よりもたらされた環濠集落、豪族の居館と宮など |
南諏訪原遺跡 吉野ヶ里遺跡、古曽部遺跡 まき向遺跡、三ツ寺遺跡、飛鳥の宮 |
(古代山城) |
白村江(はくすきえ)の戦いに敗戦し、朝鮮(新羅)などの大陸軍からの進撃に備えた砦。日本書紀などの官選史書に記述されています。 | 金田城(かねたき)、大野城、基肄城(きいき)、長門城、屋嶋城、高安城 |
③神籠石(こうごいし)系山城 |
大陸軍の侵攻に備えた城ですが、大和政権の地域支配を貫徹する目的として国府に先立ち築城されたようです。 | 鬼ノ城(きのき)、石城山神籠石、播磨城山城(きやまき) |
④都城、国衙と群衙 |
奈良時代の都と地方役所である国衙の中心国庁は都城を模した正殿と前殿、前庭、脇殿と楼閣で構成され、群衙は国衙を小規模にしたものです。 | |
⑤東北の城柵 | 大和朝廷が北方(蝦夷)侵略の阻止と支配を進める目的の拠点として設置した城柵です。 |
渟足柵(ぬたりき)、磐舟柵、多賀城、秋田柵、払田柵(ほったき)、胆沢城、 志波城(しわき) |
⑥鎌倉武士の城と館、元寇防塁 |
武士の拠点としての鎌倉府で、周辺を七つの切通しを持つ要害です。 文永の役(1274年)と弘安の役(1279年)の元寇時に、元軍の上陸を阻止する為に、当時の御家人に命じて石築地を築かせました。 |
鎌倉城 元寇防塁
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⑦南北朝時代の山城 |
元寇で鎌倉幕府が弱体化して西国中心に悪党勢力が台頭、その悪党が山に籠って生活と臨戦時の拠点として山上に築いた城です。 後に、この勢力と鎌倉幕府転覆を狙う後醍醐天皇と結びつきます。 幕府滅亡後に、南朝勢力は密教勢力と結びつき山岳寺院が城郭化します |
赤阪城、千早城
笠置山城、白旗城、大平城、霊山城 |
⑧室町幕府と花の御所 |
室町幕府三代将軍の足利義満は、御所北西に室町殿「花の御所」を造営します。そして、守護大名を在京させて周辺に武家邸宅を構えさせました。 | 室町殿 |
⑨室町幕府の関東統治機関 |
足利尊氏次男の基氏が関東における統治機関の鎌倉府に入り鎌倉公方となります。 後に、京都の室町幕府と鎌倉公方と関係が悪化し鎌倉公方四代の持氏を滅ぼしますが、その子成氏が鴻巣に留まり、更に古河に居所を移して古河公方となります。 室町幕府八代将軍義政は、古河公方に対抗して弟の政知を鎌倉公方として関東に派遣するも鎌倉へ入れず伊豆堀越に留まり堀越御所を建てました。 |
鴻巣(こうのす)御所、堀越御所 |
室町幕府は、守護大名を原則在京にしていましたが、応仁・文明の乱以降は任地へ下向し、その任地に居館(守護所)を構えました。 方二町、方三町の巨大な方形館で守護館を中心に重臣屋敷が構えられ、守護所は詰城と庭園を構えました。 |
大内氏館、大友氏館、京極氏館、躑躅ケ崎館 | |
⑪環濠集落と寺内町 |
戦国時代に近畿地方には周囲を水堀を巡らす集落ができます。 また、浄土真宗の寺院を中心にした防衛都市もできて、それぞれの中で自治が行われました。 |
稗田集落、若槻集落、番条集落 加賀吉崎御坊、山科御坊(本願寺)、 石山御坊(本願寺)
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⑫城郭化した寺院 |
戦国時代にも寺院の城郭化が継続しました。
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弥高寺、根来寺 |
⑬戦国時代の城 |
万一を想定して詰城としての山城が出現します。更に、普段は生活をしないが軍事的防衛的施設を備える恒久的な詰城が造られるようになりました。 それは、尾根を削って曲輪を設けて、切岸・堀切・竪堀・横堀で遮断し、土塁を設けて虎口を工夫し、馬出しや横矢が発達しました。 中央権力と一線を画して集権化し、家臣統制を強化し、知行に応じた軍役を課す領国支配体制を構築したのが戦国大名でした。 |
吉田郡山城(毛利元就) 春日山城(上杉謙信) |
以下の写真をクリックすると、住所や概略がわかります。
↑大野氏館
↑竹田城 ↑若桜鬼ノ城
以上、本州から九州地方で現れたお城とは別に、北海道と沖縄には、独自のお城が15世紀から17世紀頃に発達しました。
⑭チャシ
残念ながらまだ訪問していませんので、近いうちに訪れてここへアップしたいと思います。
⑮グスク(城)
(1段目)↓首里城 ↓首里城 ↓首里城 ↓首里城 ↓首里城 ↓首里城
( 2 段目)↓首里城 ↓首里城 ↓首里城 ↓首里城 ↓中城城 ↓中城城
(3段目)↑中城城 ↑今帰仁城 ↑今帰仁城 ↑今帰仁城 ↑座喜味城 ↑座喜味城
(4段目)↑勝連城 ↑勝連城
戦国時代から天下統一に向けた動きの中で、天下人のお城が次々に築かれていきます。
織田信長は、初めて城主となった那古野城をスタートとして、清洲城、小牧山城を築き城造りのノウハウを構築していきました。そして、斎藤道三のお城であった岐阜城を手に入れて石垣と天主を導入しました。
更に、天下布武を図るべく1576年に安土城を築き、総石垣造り、史上初の五重六階の天主、豪華な城内御殿を導入し本丸に天皇を迎える「御幸の間」を設けて、足利将軍邸を凌ぐお城としました。
豊臣秀吉は、信長が次に城を構える予定にしていた石山本願寺の場所へ、1585年に大坂城を築城しました。五重天守と華麗な本丸御殿、更には天守は黒漆塗の下見板張で軒先には金瓦がふんだんに使われていました。そして広さは、安土城の面積の10倍のお城を造りました。
晩年に朝鮮出兵した「文禄・慶長の役」(1592~1598年)では、日本の前線拠点として粋を集めた名護屋城を唐津に築きましたが、江戸時代に入り朝鮮との関係修復の為に、徹底的な破城が行われました。
徳川家康は、岡崎城を皮切りに、浜松城、駿府城を経て1590年に関八州を手に入れて江戸城を築城します。
その後、関ケ原の戦いに勝利した家康が徳川幕府をスタートさせましたが、1602年には秀忠に将軍職を継承し自分は駿府城へ移ったので、江戸城は天下普請による工事が1660年まで続きました。
(1段目全て)↓安土城
(2段目)↑大坂城 ↑大坂城 ↑大坂城 ↑名護屋城 ↑名護屋城 ↑名護屋城
(3段目) ↑名護屋城 ↑名護屋城 ↑岡崎城 ↑浜松城 ↑駿府城 ↑駿府城
徳川政権が確立すると、地域ごとに統治する者が配置され、その統治者の政治の場と生活の場がお城となります。特に、1万石以上の石高を持つ行政の長(藩主)を大名と呼び(「諸侯に列する」と言われた)、大名には、「国主」「準国主」「城主」「城主格」「城無」の区別がありました。
「城無大名」の居住地は、基本的には天守閣は勿論のこと櫓も設けることができない御殿を中心とした城郭建築で「陣屋」と呼ばれる所に居住しました。幕末には、約170ケ所ありました。例外として、幕府倒壊後1869年に明治新政府は、園部陣屋に対して「帝都御守衛」とした城改修を認め、3つの櫓門、二重巽櫓と三重小麦山櫓が建てられ城郭化しました。
また、徳川幕府が安定し幕府の直轄地を治めるために行政を行う館や、江戸や大坂以外でも直轄地の重要な都市の治安維持の為に奉行所が置かれました。また、大名や旗本の飛地の知行地を治める為の館も、各地に配されるようになります。
1700年代後半~1800年前半になると、日本近辺に外国船が頻繁に出没してくるようになり、沿岸警備の必要性が高まり、幕府は海岸沿いに砲台建築を推奨したり、北海道警備の為に東北各藩に出張陣屋を設けさせたりします。
江戸時代におけるお城とお城に似た施設について、下記の表で紹介します。
概 要 |
主な 例 |
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16)大名城 |
城下町を構え、その城下町を運営する行政の中心的な役割を担う所。 政治経済の中心地で、藩主やその家族、藩士やその家族も居住し、その周辺に商人の街や寺院が取り巻きます。 お城は、天守閣(天守閣がない場合や天守台だけの場合もあります)を中心に櫓を設け、枡形の門構えを備え、御殿が置かれます。 |
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17)大名陣屋 | 無城大名も行政の中心的な役割を担いますが、行政の長である藩主が1万石の場合は、原則、天守閣や櫓のある城郭は持てずに御殿建築のみの陣屋構えです。 | 柏原陣屋、七日市陣屋、園部陣屋、柳本陣屋、小島陣屋、龍岡陣屋、相良陣屋 |
18-1)大名支城 |
石高の多い大名は、国家老に知行地を与え統治させており、その拠点としての城や陣屋を構えさせていました。また、藩主が隠居して居住する所としても建てられたものもあります。 |
白石城、小松城、高岡城、伊賀上野城、名張陣屋、米子城、八代城 |
前述の大名の多くは、飛地で石高(知行地)を構成している大名が多く、その飛地を管理して収入である年貢を確保する為に設けられた所です。建物は庄屋屋敷を大きくしたような規模です。 |
古河藩陣屋、加納藩佐多陣屋、下館藩 白木陣屋、小田原藩代官屋敷 |
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19) 幕府直轄城 |
・将軍とその家族の居住地であり、幕府の政策立案と発信する場です。 ・幕府にとって重要拠点と位置付けている所に置かれたお城で、幕府から城代などが派遣されました。 |
江戸城 大坂城代=大坂城、甲府勤番所=甲府城 駿府勤番所=駿府城、二条城 |
20) 幕府天領陣屋 | 幕府領地からの大きな収入源となる年貢を徴収する為に行政管理をする拠点となる所です。 | 高山陣屋、日田陣屋 |
21)幕府天領代官所 | 幕府領地の収入源となる年貢を徴収する為に行政管理をする所です。 |
五条代官所、水原(すいはら)代官所、倉敷代官所、駿府代官所、中野代官所 |
22)幕府天領奉行所 |
・将軍在所の江戸町の行政、治安などの取締りを任とした所です。 ・大坂、京都、奈良などの幕府直轄地の行政、治安などの取締りを任とした所です。 |
江戸北町奉行所、江戸南町奉行所 京都町奉行所、大坂町奉行所、奈良奉行所、日光町奉行所、長崎奉行所 |
(代官所) |
知行地で収入(年貢)を得ている旗本が、その管理徴収の為設置した所です。 ※旗本とは、原則将軍にお目見えできる直轄武士で1万石未満 |
畠山陣屋、地黄陣屋、四日市陣屋、平福陣屋 |
24)要害、麓、土居 |
一国一城の令以降も、江戸から遠くて石高が高い実力ある外様大名では、戦国時代のお城を利用して地元統治の為に存続させており、「城」ではなくて「要害(ようがい)」「麓(ふもと)」「土居(どい)」と呼ばせました。幕府は黙認していたようです。 そして、立派な門や櫓などを前述の令以降も残して使用していた所もありました。 |
1)要害:伊達藩で21要害あり、他に所(ところ)や在所(ざいしょ)と呼ばれる役所も在在しました。 涌谷要害、岩出山要害、登米要害、不 動堂要害、亘理要害など、米谷所、松山所、村田所など
2) 麓:薩摩藩で100~110麓あり、外城(とじょう)ともいいます。 知覧麓、入来麓、出水麓、喜入麓、加治木麓、重富麓、垂水麓など
3)土居:土佐藩で4土居あり、土佐藩の重臣が知行した領地です。 安芸土居、宿毛土居、窪川土居、中村土居 |
1780年前後以降に、北海道付近へロシアを始め諸外国が出没することへの警備として特に東北以北の各藩から派遣された出張所の陣屋です。 | 戸切地陣屋、モロラン陣屋、白老陣屋 | |
26)本州など各所における奉行所 |
日本の海上交通の要としての港の管理や警備を担いました。 | 下田奉行、浦賀奉行、兵庫奉行 |
・ 1853年にペリーが来航した前後から幕末にかけて、幕府が各藩に対して警備を強化させ砲台を設置させました。(約800ケ所) ・ペリー来航前後に江戸湾へ外国船の侵入を回避すべく設置された砲台を持つ人工島(台場)で幕府が管理した所です。 |
・西宮砲台、和田岬砲台、樺崎砲台
・品川台場 |
(1段目)↓喜連川陣屋 ↓喜連川陣屋 ↓谷田部陣屋 ↓伊勢崎陣屋 ↓伊勢崎陣屋 ↓安中陣屋
(2段目)↓安中陣屋 ↓七日市陣屋 ↓飯野陣屋 ↓相良陣屋 ↓相良陣屋 ↓小島陣屋
(3段目)↓小島陣屋 ↓龍岡陣屋 ↓龍岡陣屋 ↓仁正寺陣屋 ↓仁正寺陣屋 ↓柳本陣屋
(4段目)↑園部陣屋 ↑園部陣屋 ↑敦賀陣屋 ↑敦賀陣屋 ↑柏原陣屋 ↑足守陣屋
(5段目)↑徳山陣屋 ↑西条陣屋 ↑西条陣屋 ↑新谷陣屋 ↑森陣屋 ↑秋月陣屋
↑米子城
↑下館藩白木陣屋
↑二条城 ↑二条城 ↑二条城 ↑大坂城 ↑大坂城 ↑大坂城
↑駿府代官所 ↑五条代官所 ↑倉敷代官所 ↑倉敷代官所 ↑笠岡代官所 ↑日田陣屋
↑地黄陣屋 ↑平福陣屋
↑都城麓 ↑重富麓 ↑加治木麓 ↑喜入麓 ↑知覧麓
↑樺崎砲台
28)その他
↓小山御殿 ↓中泉御殿 ↓中泉御殿 ↓永原御殿 ↓永原御殿 ↓多田銀銅山代官所
↑多田銀銅山代官所 ↑庄内藩酒田町奉行所 ↑庄内藩酒田町奉行所
2018年1月1日より公開しています。
更新情報
大坂(阪)城の全てを動画特集でご覧いただけます。「お城ごとの建物アルバム」からお入りください。(2019.2.7)
コンテンツ内容の追加情報を適宜更新します。岡山城の建物写真をアップしました。
新項目「お城ごとの建物アルバム①」を、ご覧ください。
・姫路城、松本城、犬山城、彦根城、
松江城、弘前城、丸岡城、備中松山城、
丸亀城、松山城、宇和島城、高知城
新項目「お城ごとの建物アルバム②」を、ご覧ください。
・二条城、掛川城、川越城、柏原陣屋、
名張陣屋、七日市陣屋、松前城、出羽松山
城、盛岡城、仙台城、涌谷要害
新項目「お城ごとの建物アルバム③」を、ご覧ください。
・相馬中村城、水戸城、土浦城、岩槻城
高崎城、江戸城、小諸城、名古屋城 、
上田城、飯田城
新項目「お城ごとの建物アルバム④」を、随時更新していきますのでご覧ください。
・新発田城、富山城、金沢城、大坂城、
明石城、岡山城(7/27現在)
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